1983-09-28 第100回国会 衆議院 行政改革に関する特別委員会 第4号
以上は、官僚的割拠主義から発生する、いわゆる官僚の阿房宮といわれる厖大なる機構の拡大化を防止し、過去の宿弊を國会の意思によつて断固一掃せんとする意図に出たものであることを御承知願いたいのであります。 こういうふうに言っているのです。
以上は、官僚的割拠主義から発生する、いわゆる官僚の阿房宮といわれる厖大なる機構の拡大化を防止し、過去の宿弊を國会の意思によつて断固一掃せんとする意図に出たものであることを御承知願いたいのであります。 こういうふうに言っているのです。
私が内閣委員会にも出て、国会の審議の歴史からして、官僚の阿房宮をつくるから法律でなければならぬということになって今日に来ている。これは何遍もつぶれています。しかし、ここからはこのままでは何にも浮いてこない、人も金も。 それから総務庁、これについてもずいぶんちぐはぐなまとめ方をしたものだと私は思いますけれども、ここで政務次官が一入減る。
本会議における委員長報告によれば、政令でやるという考えは戦時中に勅令に委任したと同じ考え方であり、これは新憲法の精神に違反するものであるとして、「官僚的割拠主義から発生する、いわゆる官僚の阿房宮といわれる、厖大なる機構の拡大化を防止し、過去の宿弊を國会の意思によって断固一掃せんとする意図に出たものである」と述べ、部局の設置、所掌事務の範囲を法律事項とすることは第一回国会で確立した原則であると強調しています
その理由としては、本会議における委員長報告では、「政令でやるという考えは、戦時中に勅令に委任したと同じ考え方であり、これは新憲法の精神に違反するものである」として、「官僚的割拠主義から発生する官僚の阿房宮と言われる膨大なる機構の拡大を防止し、過去の宿弊を国会の意思によって断固一掃せんとする意図に出たものである」と格調高く述べ、「部局の設置、所掌事務の範囲を法律事項とすることは、第一回国会で確立した原則
このときに松岡議長自身が、こんなことをしたら官僚の阿房宮ができる、何事だと言った。当時の経過から振り返ってみると、総定員法を考えたその発想の根本に昔の議論と逆な発想がある。だからその点も私は申し上げておいたのだが、総定員法だってぼつぼつなくそうとかあなた方はろくなことを考えていない。やたらふえるところは総定員法からはずしてしまうとか、そういう御都合主義で行政管理はできませんよ。
そうしなければ官僚の阿房宮ができてしまうからというので、各省設置法にしたんです。歴史がある。それを国家行政組織法そのものに手を入れてみんなおっ外したかった。ところが、なかなかそういうわけにいかないから、総定員法をあなた方は考えた、これが限度なんですよと。しかも、これは行政管理庁が定員をプールしておいて、減らすんじゃないんですとあなた方は考える、再配置なんだと。そうでしょう、それが総定員法でしょう。
国家行政組織法というのは、松岡駒吉さんが当時、衆議院で政府提案の大修正をしまして、こんなことをすれば官僚の阿房宮ができ上がるじゃないかということで、みんなぶった切って、つなぎ合わせてこしらえた法律でありますから、国家行政組織法はそういう意味では数々の問題がある。 その中の一部分、法務省にかかわるものを取り上げている形になる。
一体運輸委員会に対して何らの試案も意見も求めることなく、決算委員会の結論さえ出れば、たちまち一切の論議は終了したものとして、十二階建のあの、バベルの塔というか、阿房宮の二の舞いというか、輸送力増強にはまつたく百害あつて一利なき建築物を建てるのに、断固邁進をするお考えですか。この問題は運輸委員会ではいまだに継続審議になつており、なお糾明せねばならぬはずなのをお忘れになつておるのですか。
昔の中国からわが国に伝わつた兵法の書物、孫子の兵法とか呉子の兵法とかいろいろ有名でありますが、その孫子、呉子に並んで尉繚子というのがあります、この尉繚子は、秦の始皇帝ー燕天下を統一して阿房宮を造営し、三千の美女をたくわえた大皇帝、秦の国は永世不滅と号したこの始皇帝の参謀長をした武人の書いた書物でありますが、その書物の戦域の第四にこう書いてある。
以上は、官僚的割拠主義から発生する、いわゆる官僚の阿房宮といわれる厖大なる機構の拡大化を防止し、過去の宿弊を國会の意思によつて断固一掃せんとする意図に出たものであることを御承知願いたいのであります。